《五年》後書き

後書き

日本に来て5年になった。ずっと続けて仕事をしている。今まで大阪以東には行ったことがない。名古屋にも行ったことがない。東京にも行ったことがない。仙台にも行ったことがない。北海道にも行ったことがない。私の日本での素晴らしい人生はまだ始まったばかりだと信じている。

他の人を助けることができれば、それは最高だ。よく目にする自殺のニュースに対して、私は深く遺憾と痛惜を感じると同時に、もし自分が彼らに、日本はそんなに悪いところではなくて、今の生活は絶対ではないことを伝えることができれば、何かを変えることができるかもしれないと感じる。

日本は総じて良い国と言えるだろう。いずれにしてもここには民主主義、自由、相対的公平、ルール、豊かさ、安定があり、温泉卵、納豆、刺身、おでん、唐揚げ、お好み焼きなど、おいしい食べ物もたくさんある。これらに加えて、日本独特の美学、美しい文学、卓越した音楽を味わう価値もある。

この五年間は純粋に生活のために、日々接していたこと、考えていたことは物質的なことばかりで、日本文化のエッセンスに触れることが少なかった。日本文化の中にある「曖昧さ」の特質に対しても理解が非常に少なくて、何かを言いたい気持ちを抑える表現も、欠けたものを大切にする日本的な美意識も、日本人の丁寧な応対も、これからはその文化の「独特さ」をじっくり味わうべきだ。

家に電話するたびに、母は中国にいる親戚や友人たちが大金を稼いだり、会社から抜擢されたりしたことを私に教えてくれる。私は彼らのために喜ぶと同時に、今の自分の日本の生活状態を見てみると、特に心から満足しているわけではない。

一人一人の能力には限りがあり、生きているうちに一つのことを成し遂げることができれば十分だ。例えば、面白い本を書き、良い主婦になるなど。外では独立し、冷静に、知的に世界を観察し、内では情熱を持ちながら、心の中にいる永遠の若者を遠慮なく喜ばせるのが、日本で生きる最上の姿だと思う。

最後に付け加えておくと、本書は、私が認識している日本を本質的に抽出したものではない。それには更に何万字をも必要とするだろう。本書は私が経験したことを記録しているにすぎない。本書の中の多くのポジティブな言葉遣いは、すべて「火」のような私が書いたもので、私にも「水」のような一面があることを知っているならば、ある側面においては、ネガティブな感情を持って表現を逆に見ることも出来るだろう。その逆にも。