《五年》(二十八)沖縄・高野山

(二十八)沖縄・高野山

日本に来て5年になったが、観光したことがあるのは冲縄と高野山の2か所だけだ。

旅行は私にとって、骨の髄まで刻まれているほど大好きで、特に旅行ルートを事前に計画しない旅行が大好きだ。

中国の大半を旅したことがある。東西南北、広い中国大陸、各種の大都市、辺境の小さな町、美しい田舎、少数民族の特色ある地区など、色々と訪れたことがある。10年ほど前には、搭乗時のラベルが貼られていた私のスーツケースは、黒い風合いの革の表面が白い紙で滑らかになっていた。

1年半かけてニュージーランド全土を旅した。北島の最北端から南島の最南端まで、すべて行ったことがある。その時は親指一本で行きたいところに行くことができた。ニュージーランドでは誰でもヒッチハイクに慣れているからだ。それは生活の中に溶け込む習慣のようなものだ。運転手も旅人も、これはとても自然なことだと感じている。だから、私は南島を一気に一周しただけでなく、ニュージーランド全土をヒッチハイクで旅し、とても面白い経験をたくさんした。

インドで1年間生活し、ワイルドなムンバイ、快楽に酔った夢の中のようなゴア、素朴なプネの田舎、神秘的なカンヘリ洞窟を探険した。

また、一人で東南アジア、例えばシンガポール、タイ、ベトナムなども旅行したことがある。モルディブにも二回行ったことがある。その中の一回は日帰り旅行で、もちろんスリランカにも行った。朝の光の中でセイロン紅茶を飲んだことがある。紅茶の色は赤く、湯飲みの中で液体の縁に黄金色の環を作って、芳しい香りがした。

しかし、日本に来てからは、旅行はほとんどしなかった。

ずっと仕事をしていて、休みがあまりなかった。第一に、日帰り旅行、二日間旅行では十分ではなくて、いつも遊ぶなら十日、八日、あるいは半月必要だという考えを抱いている。第二に、日本の国内旅行は海外旅行より安くない。日本の物価はよく知られているが、世界的にも高くなっている。大阪から仙台に行く旅費と宿泊費を含めて考えると、韓国に行ったり、台湾に行ったりすることができる。新鮮さを渇望している私にとって、海外に行くのは国内旅行よりずっと興味がある。第三に、日本の多くの場所は、それぞれに特色があるが、雪化粧した北海道、情熱的な沖縄、おしゃれで魅力的な神戸、パワースポットの伊勢、田園風で静かで奥ゆかしい和歌山など、しかし、同じ商店街、同じレストランの食べ物、大阪では唐揚げ、ラーメン、牛丼、九州でも唐揚げ、ラーメン、牛丼……など、似たような点があるところも多い。

全体的に言えば、好奇心の強い私には、差別化が欠けていて、旅のモチベーションは、年をとるにつれてますます体を動かすのがおっくうになる惰性に打ち勝つのに十分ではなかった。

そんな前提で、前述の沖縄と高野山だけに行ってきた。

沖縄に行ったのは、神戸の仕事を辞める前だった。2019年5月30日、神戸の自宅から三宮まで電車で行き、ポートライナーから神戸空港までの道のりは短いが、運賃は安くない。しばらくして神戸空港に着いて、小さくて精巧な空港で、清潔で綺麗に整備されていた。

飛行機が飛び立って約2時間、広々とした海、空一面に広がる青の中に、海に散りばめられた真珠のネックレスのような陸が見えてきて、ついに冲縄の姿を見ることができた。これが伝説の琉球王国か?と、興奮を抑えることができなかった。

飛行機はなだらかに那覇空港に着陸し、機内のドアを出ると、湿った熱い空気が顔を覆ってきた。モノレールに乗って空港から市街地に行くと、窓の外の異国のような風情、ココナッツの木、紅色の瑠璃瓦の家、この上ない太陽の光が目に飛び込んできた。

ホテルに着いて、荷物を置いて、食べ物を調達しに行く準備をしていた。今回選んだ宿泊先は民宿のようなホテルで、価格は高くないが、人数ごとに部屋代を徴収している。この点は多くの外国の場合と異なる。例えば中国では、ホテルの部屋代は一般的に固定されており、部屋ごとに部屋代を徴収している。日本は人数に応じて料金を徴収している。顧客により良い快適な環境とサービスを提供しているので、往々にして部屋代も相応に高くなる。

この民宿には台湾人がたくさん住んでいると、なまりを聞けばわかった。確かに、台湾から那覇までの距離は那覇から東京までの距離よりも近すぎる。

那覇の街に出て、台湾と中国大陸と日本が混在した場所に身を置いているような気がした。国際通りの両側には様々な商店が軒を連ね、観光客があふれ、活気に満ちている光景に心も興奮してくる。街頭のトロピカルドリンク屋さん、おいしそうなパイナップル、沖縄の琉球ガラス、そして一見ハラハラするマムシ酒。

ヘビ酒は、中国大陸と台湾でもよく見られて、体にとても良く、昔から蛇類が薬になる最も伝統的な薬膳酒の1つだ。中国の漢方医は、蛇類漢方薬材は血の巡りを良くし、体に大変良いと考えている。

やはり冲縄文化と中国文化には共通点が多いようだ。

最初の夜、簡単に沖縄ラーメンを食べた。海ブドウと沖縄腐乳を注文して、あっという間に中国にタイムスリップしたような気分になった。店員のサービスは相変わらず日本式だが、どこかリラックスした雰囲気があった。

次の日、那覇の市場に行った。肉、魚介類、野菜と調味料を売る店が数階建てのビルの中にたくさん入っている。日本本土では全く見られない光景だ。もしすべての人が日本語を話さなければ、ここは完全に中国の野菜市場と言っても過言ではない。

沖縄に1週間滞在し、食べたり飲んだりして、もちろん北部にも遊びに行った。北部の琉球村では、地元の国王や王妃に扮した琉球舞踊ショーに参加し、太陽の下で琉球の伝統舞踊を踊るグループが面白かった。いつでもどこでも私を驚かせてくれるトロピカルフルーツがあり、香りと鮮やかな色彩、山々の美しい造形が生気に満ちた光景を見せてくれる。

琉球村の後、沖縄美ら海水族館に行った。「冲縄の神秘を生き生きと表現する」という主旨の大型水族館で、「ちゅらうみ」は冲縄の方言で「澄んだ美しい海」を意味する。なんと美しい名前だ。中で世界最大の魚類であるジンベエザメを見た。巨大な水槽の前で深海にいるような気分になった。

北へ向かうバスの中で、自然の広大な森の海に身を突っ込んだような気がした。たくさんの植物がまるで空に広がる星のように、大地を潤していた。さまざまな高木・低木・草花は皆大地の飾りや着物である。植物の緑は私がかつて見たどんな緑よりももっと青々としていて、もっと厚くて、この深い緑の海は空気を青緑に染めて、雰囲気をも濃い緑に変えた。この深い緑の海は遠くない深い青の海と呼応して、思わず感嘆するものであり、このような美しい景色があるのは明白だった。

ガイドが車の中で冲縄の歌を歌って楽しんでいるが、その美しさとリラックスした雰囲気が相まって、車から降りるのが惜しくなる。冲縄は日本の桃源郷のような気がする。どんなに抑圧的な人が来ても、悪い気持ちはいくらでも解き放たれるだろう。

沖縄に行けば、もちろん「首里城」には必ず行くが、私が行った時は、まだ「首里城大火災」事件は起きていなかったので、琉球王国の政治、外交、文化の中心地として知られていた琉球式の城を見ることができた。それは中国と日本の築城文化の独特な建築様式と高い石積み技術を融合してできており、非常に高い文化と歴史の価値を持っている。形は壮大で、色は鮮やかで、明らかに日本本土の建築物とは色合いが違う。

沖縄を離れる前に離島に行ってみた。「ナガンヌ島」という無人島だった。晴れたり曇ったりしていて、乳白色の軽い霧が空気中に充満し、燃えるような匂いを漂わせていた。薄暗く、輪郭がぼんやりした雲片が、青々とした空にのんびりと浮かんでいた。

日差しはあまり熱くなく、当日も日焼け止めを塗らず、青い海と青い空の下で思う存分何時間も遊んだ。無人島の周りを何周か歩いてみた。黄金色の砂浜には、たくさんのカラフルな貝殻が静かに横たわっていた。砂浜の砂はふわふわしていて、踏むと布団の上にいるようで、とても気持ちがいい。

私は泳げない。正確に言えば、子供の頃、川で独学で泳ぐことを覚えた。その後、ずっと水に入ったことがなかったので、泳ぐことを忘れてしまった。こんなきれいな海で泳がないのは本当にもったいない。

神戸に帰ってくると、翌日の午後、全身の皮膚が熱くなり、かゆみ、ひどい日焼けをした。医者に診てもらい、薬を処方してもらって、2、3週間痛みとかゆみに振り回されてやっと回復したが、体の皮膚は蛇のように脱落して、痛みに耐えられないだけでなく、自分でも吐き気がした。

しかし、情熱的で爽快な沖縄は忘れられない素敵な思い出を残してくれた。日本にものんびりしているところがあるのかと思いにふけった。ああ、もちろん、正確には、かつての琉球王国だが。

2020年11月末、高野山に行ってきた。

秋晴れで、風が穏やかで、涼しかった。私の大好きな季節に清らかで神聖な場所に行くことは、長い思い出に値する体験だ。

1200年以上の歴史を持つ仏法の聖地として、高野山には寺院が林立し、仏教の街、浄土で、僧侶たちの清貧な生活を体験することができる。高野山の宿坊に宿泊するのは修行で、私たちも宿泊して、清々しさ、心の安らぎ、お坊さんたちの食事、繊細で美味しい精進料理を味わった。

朝はお坊さんたちとお経を読み、夜は広い湯船につかるという修養の旅だった。お風呂といえば私が観察したものを取り上げたい。ほとんどの日本人はお風呂に入る習慣がある。多くの日本人の家庭では、お風呂に入る時、家族全員で同じ湯船の水を使う。これは私が以前に思ってもいなかったことで、私には到底受け入れられない。

個人的には自分以外の人の毛やフケは汚れていると思っているからだ。このように、特定の生活習慣を持っているグループの常識は、異なる文化圏の人の目には異なって見えることがわかる。私は3日間シャワーを浴びなくても平気だが、他人と一緒に風呂の水を共有するのは汚いと感じる。

私の経験では、どの国の人も毎日シャワーをするわけではなく、特に寒い地方の冬は毎日シャワーをしない人が多いということだ。多くの日本人は基本的に毎日シャワーを浴びる。「シャワー」だけでなく、お風呂にも入る。これはもちろん日本の豊富な水資源のおかげで、とても褒められるべきことだ。毎日体の細菌や汚れを洗い落とすのは体にとても良いことだ。

日本の水資源の豊かさといえば、私が観察した他の現象の1つも取り上げなければならない。多くの日本人は食後に食器を洗う時、蛇口を開けて水を流したまま、食器と箸を洗うのが普通だ。これは私の目には水を浪費しているように見える。鉢に水を貯めて、食器と箸を鉢の中で洗った後に、水で一回洗い流せばいいのではないだろうか。中国をはじめ多くの国では、蛇口を開けたまま食器を洗う行為が非難されるだろう。

宿泊先のお風呂は天然温泉ではないが、天然温泉に勝るとも劣らないものだった。お風呂に入ってから伝統的な和室に入ると、畳で寝る。部屋にはテレビ、金庫、テーブルなどの基本的な家具が備え付けられている。窓の外にはとても古い木があり、高野山の寺院のように古い感じがする。

いろいろなお寺に行って、織田信長豊臣秀吉など有名な人のお墓を見たことも印象的だった。中国の歴史上の人物の墓地の多くは、「文化大革命」で壊わされて、一部の英雄の死体は掘り出され、焼却された。日本の著名人は幸運にも、亡くなってからもずっと安心してそこに眠ることができ、誰も墓を動かさないし、墓を壊すような「政治運動」も起こらない。これにはとても敬服させられた。まるである種の畏敬の念を見る民族精神だ。

高野山で、私が一番震撼したのは「弘法大師」の御廟だった。人々は空海が聖地高野山に今も生きて大衆を救い続けていると信じている。立ち上る線香の煙の中で、ろうそくの灯火が揺れ、澄んだ山の冷気が邪気を洗い去っていく。

心を洗う旅だった。高野山の秋は本当にきれいで、空気が少しひんやりしていて、その涼しさの中に自然の匂い、お寺の匂い、歴史の匂いがいっぱいだった。

世の中の万事万物はすべてにその美しさがあって、すべてにそのハイライトがあって、感情、心持ち、心情にも関係してくる。時には、ある瞬間、極限まで喜んで、あるいはまた谷底の深淵に落ちることもあるが、大抵の場合は悲しくも嬉しくもない。

沖縄と高野山とは、まるで私の性格が両極端であるのを表しているかのように、一つは「火」であり、もう一つは「水」である。

奇妙な偶然だった。