《五年》(二十九)焦り

(二十九)焦り

「焦り」は、今の私の心境にぴったりだ。

まず「焦り」と言う感情で、一番記憶に残っているのは、これまでに3回ある。

一度目は大学を卒業する半年前。その頃は学校で「キャンパス採用」が盛んに行われていた。中国の「キャンパス採用」は日本の「就職活働」に相当する。日本の就職活働の競争がどれだけ激しいのか、当時私が中国で体験したキャンパス採用のレベルを超えているのか、それとも劣っているのか、私には分からない。いずれにしても、当時私は北京と天津一帯の有名な大学で奮闘し、多くの会社の採用面接を受けた。様々な形で面接を受けたが、例えば、グループで1つの話題について話し合い、会社のリクルーターは参加者のパフォーマンスを観察し、気に入った人物を選ぶ。KPMGのような全英語の筆記試験や面接を受けたこともあるが、まだ外国に行ったこともなく、外国人や外国人講師に接したこともなかった私も、なんとか耐えた。

厳しい競争の末、中国最大手の食品メーカーの本部に入社したが、これは決して就職失敗ではなかった。しかし、この半年間の就職活動の中で、「いい仕事」が見つからないこと、正確に言えば他の人の目に映る「いい仕事」が見つからないことに焦った。

何度も銀行の仕事を逃し、当時はとても苦しかったが、私の大学では、最も良い就職先の1つとして認められているのは銀行業だ。就職活働は完全に能力に関係するものではなくて、運に関係し、私はその時は少々機会を逃して、銀行の職位に就くことはできなかった。これらはすべて運命の采配だろう。もし私が当初本当にあの銀行に入って仕事をしていたならば、今頃私はここにいなかったかもしれない。

今振り返ってみると、あの時の焦りは、今では取るに足らないものだったが、あの時の私は、確かに強い焦りを感じた。就職への焦りだった。

しかし、焦りはあったものの、大学卒業を控えていたので、希望に満ちていて、大いにやる気があった。自分は十数年勉強してきたが、やっと腕を振るう時が来た。期待の気持ちが少なからぬ焦りの気持ちを覆い隠していた。

二度目の焦りは、ニュージーランドに着いて一カ月ほど経った頃、南島のホステルに泊まり、一日20ドルの部屋代を払い、あてもなく人里離れた場所で仕事を探していた時だ。

当時持っていったお金は20万円足らずで、何もかも自分でやらねばならず、自分で住む場所を探し、仕事を探した。現地の家賃も物価も知らず、勇気だけはあったが、実際に現地に着いてから、毎日の高い生活費と当てのない仕事を探しながら、心の中でどうしても焦りが発生した。

そのホステルはニュージーランド南島クロムウェルという町にあり、最も近い大都市のダニーデンからは134キロほど離れていて、自然の美しさに圧倒されるが、ここでは果樹園以外の仕事はほとんどない。オークランドからクライストチャーチを経てあそこに行ったのも、友人の紹介でさくらんぼ狩りの仕事を探しに行ったからだ。さくらんぼ狩りの仕事はあるにはあるが、12月の末になってようやく熟す。私がこのホステルに泊まった時はまだ9月の末だった。この長い四ヶ月の間、貯金を食いつぶすわけにはいかなかった。

そこで地元の牧場で「宿のお手伝いの仕事」を探して働き、旅館でも一週間「宿のお手伝いの仕事」をして、1日に節約できるお金を生活費にしようとした。

具体的にどのようにその時期を過ごしたのか、ここではあまり紹介しないが、とてもすばらしい体験で、また一生の思い出になった。

要するに、私が強く感じたのは、生存への焦りだった。

しかし焦りはあっても、1つの全く新しい国で、すべてはとても新鮮で美しくて、新しい生活への期待が、多くの焦りを覆い隠してくれた。

3回目の焦りは今だ。

2021年のスタート以来、焦りを強く感じる。

生活であれ、仕事であれ、期待していた自分の状態にまだ達していないと痛感した。いろいろと理屈はわかっていても、今の刻一刻を上手く過ごすことができない。

仕事は世間的に見て、けっこう良いと言える。とても立派で将来性のある仕事だが、まるでドバイの超富豪の家でベビーシッターをしているような気がして、彼らの金は私を少しは潤すことができるが、実際私とはあまり関係がない。私はそんなに給料を気にしているわけではないが、私が気になるのは今の自分は依然としてこのような状況に甘んじており、これまで多くの知識を学んで、将来への希望に満ち溢れていた当時の自分に対して少し申し訳ない気分がする。

高い給料をもらっても永遠に大金持ちにはならないということは、多くの中国人にとって、明白な道理である。私のWeChatの友達の中には多くの富豪がいて、彼らはサラリーマンではなく、自分で工面したり、家族から借金したりして起業している。数十億円の企業のオーナーや、上海の教育業界の企業のリーダー、父の後を継いで広東一帯で大型トラックを売っている若いボス、いつでも彼らにメッセージを送ることができる関係だ。だが、彼らの「お金」は私とはあまり関係ない。もし自分が彼らと「協力」できるほどの力がなければ、彼らに自分を助けてもらいたい、自分を引っ張ってもらいたいと思うのは、ほぼ夢物語だ。

私は依然として給料をもらう生活をしている。このような生活をしている限り、一夜にして大金持ちになることはできないと思う。しかし一方で、このような生活をしている限り、一夜にして破産することもないと思う。根本的な問題は、今は仕事が安定していても、この先どうなるのか分からないということだ。

サラリーマンの収入は自由と引き換えに得られるものであり、同時に自分がどのようなポジションに昇れ、どのようなリーダーに出会え、どのような職場環境に置かれるかは、自分で決められるものではない。

もし適材適所に人材を配置できるリーダーに出会って、自分の得意分野の仕事を与えられ、同時に会社の人間関係は比較的良好で、ここに個人の努力と誠実さが加わると、やっと職場の飛躍とグレードアップが実現して、理想的な収入を穫得することができる。さらに、現在自分のいる業界はちょうど良い発展段階で、自分もちょうど働き盛りで梁を担ぐことができるという前提も軽視できない。これらのいずれかの要因が変化すると、自分の職場での発展が阻害され、自分の思うように昇進・昇給できなくなる可能性がある。

2021年も半分が過ぎ、自分の収入源を最適化しなければならない時期だが、どこから手をつけたらいいのだろうか。焦りがまた襲ってきた。

これは3回目の焦り、お金に関する焦りだ。

私は前の2回のようにそれを解消することができると信じる。前の2回のように、焦りの後はとても良い体験になると思う。