《五年》後書き

後書き 日本に来て5年になった。ずっと続けて仕事をしている。今まで大阪以東には行ったことがない。名古屋にも行ったことがない。東京にも行ったことがない。仙台にも行ったことがない。北海道にも行ったことがない。私の日本での素晴らしい人生はまだ始ま…

《五年》(三十)年齢を聞かないで

(三十)年齢を聞かないで 私はこれまで年齢には関心がなかった。年齢は数字であり、何かを表すことはできるが、特に優れた人にとっては意味のあるものではない。自分が十分に優秀であれば、優秀さは年を取ることによる様々な劣勢を補うことができると思って…

《五年》(二十九)焦り

(二十九)焦り 「焦り」は、今の私の心境にぴったりだ。 まず「焦り」と言う感情で、一番記憶に残っているのは、これまでに3回ある。 一度目は大学を卒業する半年前。その頃は学校で「キャンパス採用」が盛んに行われていた。中国の「キャンパス採用」は日…

《五年》(二十八)沖縄・高野山

(二十八)沖縄・高野山 日本に来て5年になったが、観光したことがあるのは冲縄と高野山の2か所だけだ。 旅行は私にとって、骨の髄まで刻まれているほど大好きで、特に旅行ルートを事前に計画しない旅行が大好きだ。 中国の大半を旅したことがある。東西南…

《五年》(二十七)日本人はLineメッセージに積極的に返信しないのか?

(二十七)日本人はLineメッセージに積極的に返信しないのか? 日本に来て初めてLineの存在を知り、高松での1年半はほとんど使っていなかったので、Lineの友達があまりいなかった。当時使っていた携帯電話がガラケーだったこと、仕事中に使う機…

《五年》(二十六)外国人としての「気まずさ」

(二十六)外国人としての「気まずさ」 私はすでに日本の居住証を手に入れて、長い間日本で生活して仕事をすることができる。私が口をきかない限り、自分のなまりの強い日本語を口にしない限り、外国人だとは誰も気づけない。 しかし、バーでも居酒屋でも郵…

《五年》(二十五)子どもがいないと、人生は円満ではないか?

(二十五)子どもがいないと、人生は円満ではないか? コロナが始まってからのこの1年余り、私とMikuの間にも喧嘩が多くなった。コロナのために一緒にいる時間が増えて喧嘩が増えたわけではなく、この1、2年の間に子供が欲しいかどうかについて、私た…

《五年》(二十四)心の切り替え

(二十四)心の切り替え COVID-19は人類の歴史に濃い色の一筆を残すことを運命付けられている。それは世界で猛威を振るい、威力は第二次世界大戦に迫っており、今日の人類社会が直面している最も深刻な挑戦と言える。この先どうなるかわからないし、…

《五年》(二十一)申し訳ありません

(二十一)申し訳ありません 2020年6月のある日、雨。 今日も在宅勤務の予定だったので、朝、眠い目を覚まして、コンピュータのそばに行って、遠隔操作のソフトウェアを開く。依然としてとても長い時間がかかる。少なくとも私の感覚では、心理的にも結…

《五年》(二十)先輩が台湾へ帰った

(二十)先輩が台湾へ帰った 2020年5月7日、台湾の先輩の祖父が亡くなったことを知った。 彼女は私の左に座っており、朝、かすかに何かおかしい雰囲気を感じた。私が座ると、彼女は振り向いて、「おじいさんが亡くなったので、明日台湾に帰るつもりで…

《五年》(十九)新しい仕事に就いて間もなくコロナウィルスに遭遇した

(十九)新しい仕事に就いて間もなくコロナウィルスに遭遇した 新しい仕事を探す時、私はExcelの表を作って、会社名、応募職、そして1次面接、2次面接と最終合格を通過した状況など、応募ごとの情報を記録した。 最終的に、私は4ヶ月の間に合計10…

《五年》(十八)日本の運転免許証の取得

(十八)日本の運転免許証の取得 2019年8月には、神戸にある自動車教習所に登録し、日本の自動車免許を取得する準備をしていた。 2009年8月に天津で中国C1の免許を取得し、2012年にニュージーランドで現地の免許に書き換え、2016年に高…

《五年》(十七)神戸の人たち

(十七)神戸の人たち 神戸での長くて短いこの時期は、たくさんの楽しい体験ができ、今思えば、懐かしい人々にもたくさん出会えた。 2018年3月2日、元町商店街の4階で孫さんと内モンゴルのお姉さんと知り合った。 延辺朝鮮族自治区出身の孫さんは、中…

《五年》(十六)好きな仕事を辞める

(十六)好きな仕事を辞める 3月、春は暖かく花が咲き、冬を乗り切って、すべてが蘇ってきた。「嫌というほどの苦しみをなめる」と言うほどではない。二人の中国人従業員から受ける悩みを除けば、日頃から面白いお客さん達と触れ合い、世界中の逸話やエピソ…

《五年》(十五)職場のいざこざ

(十五)職場のいざこざ 面接して採用してくれた川田さんは辞職して独立した。季節の食材、新鮮な魚、選りすぐりのワイン、独自開発のソースを使ったイタリア風の和食レストランをオープンした。一人当たりの金額が高いので、ずっと応援に行こうと思っていた…

《五年》(十四)ハネムーン期

(十四)ハネムーン期 ここでいう「ハネムーン期」とは、私とこの仕事とのハネムーン期のことを指す。 入社したばかりで、すべてが新鮮だった。3月1日9時18分、歩いて本社に行って初出勤した。山と水に囲まれた神戸、あでやかでエレガントな街の景色、…

《五年》(十三)こんにちは!神戸牛

(十三)こんにちは!神戸牛 神戸に引っ越してきて、一日休んだ後、すぐに新しい仕事を始めた。新しい仕事は神戸牛と関係がある。 「神戸牛」とは一体何なのか? 神戸牛は日本の黒毛和牛の一種で、正式名称は「神戸肉」または「神戸ビーフ」で、出荷時に神戸…

《五年》(十二)神戸に引っ越す

(十二)神戸に引っ越す 2018年2月6日、高松からバスで神戸へ。 ネットで連絡した仲介会社を見つけると、仲介会社のお兄さんが車を走らせて間取りを見たいと予約していた部屋を案内してくれた。山の斜面の1階にあるアパートだった。パソコンで平面図…

《五年》(十一)神戸での面接

(十一)神戸での面接 2018年1月17日、高松空港勤務最終日。 穏やかな一日で、みんなに別れを告げると、名残惜しかった。いずれにしても1年半近く働いた場所で、しかも日本での初仕事の場所で、笑いも愚痴もあり、楽しみもあり苦労もあった。 201…

《五年》(十)様々な同僚たち

(十)様々な同僚たち レストランには13人の同僚が常勤している。 小林さんの家族は4人で、夫は清掃会社の社長をしていて、末っ子は近くの車の販売店の正社員で、長男は同じ空港店で働いていて、4人ともタバコを吸ったり、酒を飲んだりしている。小林さ…

《五年》(九)日本人客の「奇妙」な行為

(九)日本人客の「奇妙」な行為 全体的に言えば、日本人のお客さんは店員さんに敬意を払っている。言葉や行働は礼儀正しく、彼らは否定的な疑問形の構文で店員に尋ねたり、店員が料理を出すたびにはっきりと正しい発音で「ありがとう」を言ったりする。彼ら…

《五年》(八)仕事のルーティーン

(八)仕事のルーティーン 会社は私を正社員のつもりで雇ってくれたので、レストランでのすべての仕事をマスターしなければならない。小型空港なので、時間帯によって繁忙度が異なる。季節、祝日、フライトの搭乗率も関係している。 当時、高松空港には東京…

《五年》(七)労災

(七)労災 2016年8月23日、火曜日、晴れ。 香港行きの最終便は満席だった。レストランも満席だった。大勢の香港の客がたくさんの定食を注文した。一組が食べ終わったばかりで、椅子の上にはまだ体温の余熱が残っていた。もう一組の客が入口で首を長…

《五年》(六)日本のサービス業に触れる

(六)日本のサービス業に触れる 日本のサービス業の繊細さが、このレストランで良く分かる。 客が来店すると、店員は声を大きくして元気に敬語であいさつしなければならない。「何名様ですか。」客は答えながら手で人数を表した。目の鋭い店員が客を案内し…

《五年》(五)職場の初印象

(五)職場の初印象 面接の時、太平さんが入社まで半月だと言ったので、私は二つ返事で承諾した。一般的な会社では、面接後1週間で出勤すると思う。数ヶ月後、入社まで半月待たされた原因は、8月15日がお盆の最終日で、香川から東京に帰る人の大部分がこ…

《五年》(四)日本で初めての仕事を見つけた

(四)日本で初めての仕事を見つけた 面接当日は、オシャレをして車でMikuと高松空港に向かった。立派な空港のロビーに十数台のエレベーターが動き、活気にあふれている。道路標識をたどって、通路の突き当たりにあるレストランを見つけると、入口の脇に…

《五年》(三)就活中に遭遇した奇怪な出来事

(三)就活中に遭遇した奇怪な出来事 7月のある日曜日、朝の風はミントのように涼しく、四方八方から吹いてきて、一晩中潜んでいた大小の露の玉が逃げ、蒸発し始めた。日差しは水滴に屈折されて七色のきらめく光沢を呈し、華やかな錦のようだ。私はバスで大…

《五年》(二)高松の日本語学校

(二)高松の日本語学校 私の日本語のレベルはほとんど0で、来る前に上海で臨時の付け焼刃で、何ヶ月かの初級文法を学んだことがあるが、まだ五十音をも全部暗記することができていない。高松では、公共交通機関が発達していなくて、誰もが車を運転し、私は…

《五年》(一)日本での初日は追突事故で終わった

(一)日本での初日は追突事故で終わった 2016年6月28日、上海から高松まで直行便で飛行し、わずか昼食1食分の時間しかかからなかった。 青空が広がり、飛行機から見ると、小さな島が点在し、おしゃれなカフェの抹茶ケーキのような青々とした丘が青…

《五年》・序文

序文 私は、中国湖南の小さな町に生まれた。 私は幸せな子供時代を過ごした。そこは、自然の風景がとても美しく、山があって、川があって、父は地元の小学校の教師をしていたが、私はその小学校で6年間、屈託なく、楽しい時間を過ごした。 私はそこで18歳…