《五年》(二十一)申し訳ありません

(二十一)申し訳ありません

2020年6月のある日、雨。

今日も在宅勤務の予定だったので、朝、眠い目を覚まして、コンピュータのそばに行って、遠隔操作のソフトウェアを開く。依然としてとても長い時間がかかる。少なくとも私の感覚では、心理的にも結構長い時間が必要だ。時にはしばらく待ってもまだ接続できない。ネットワークの問題のためか、会社のコンピュータの問題のためか、或いは遠隔操作のソフトウェア自体の問題のためだ。

在宅勤務をし始めたばかりの頃は、リモート接続ソフトもまだ成熟しておらず、接続しようとしたときに、何か問題が起きて接続できなくなるのではないかと心の中で恐怖を感じ、その数分間は黙々と祈っていた状態だった。

この日の朝も例外ではなく、外は小雨が降っていたが、窓から漂ってくる空気は澄んでいて、少し潤いのある感じがした。階下のモクセイの木の成長はとても旺盛で、枝葉はもうすぐ私のベランダに入ってきそうだった。

十数分かけて会社のパソコンに接続した後、私は復雑な内容の顧客からのメールに目を奪われて、前のめりになりながら真剣にメールの返事を書いていて30分近く経っていた。

その時、突然私のメールボックスに台湾の先輩が会社の何人かのリーダーに送ったメールが現れた。私をCCにしていた。メールの内容は私が積極的に彼女に協力せず、意図的なのか意図的ではないか分からないが、彼女がWeChatのデスクトップのインターフェイスにログインすることができないようにしているので、彼女が今日まともに仕事をすることができないとしたら、皆は彼女を責めないでという内容だった。

私はメールの中に感情的な表現を見て、心の中の炎は一瞬にして燃え上がった。彼女と私の状況は同じかもしれない。COVID-19の影響で、自分の心理に抑圧が生じ、色々なことがうまく行っていないと感じていた。毎日、家と会社の往復のみで、自由を失ったような気がしていたし、それに生活の中で多くの思い通りにならないことを抱えていたので、たまっていたストレスもついに、その瞬間に爆発した。私は直接直属の上司に3人のLineグループの中で電話をかけた。しばらく話をした後、台湾の先輩が音声で割り込んできて、感情的に私と対峙し始めた。

私の気持ちはいっそう高ぶって,彼女と電話でけんかを始め、続いて二人は不愉快になって電話を切った。3人での話し合いが終わった後、私は在宅勤務をしているはずのこの日、雨の中を会社に行って、会社のさらに上の役職の上司たちにこの事件の経緯を説明した。

「お二人はいつから仲が悪くなったの?」上司が私にいつものような小さな優しい声でささやいたように尋ねた。

「彼女が台湾に帰ってからでしょう。それまで事務所にいた時は、私たち二人はとても仲がよかったです。」と私はありのままに答えた。

「なるほど。」上司はうなずき、目をかすかに細めて、何か考えていた。

「長い間在宅勤務なので、お互いに会うことができなくて、誤解を生みやすい状況になっているので、後で皆でビデオ会話をしましょう。」と会社の社長は口を開いた。彼女の口調はゆっくりしていて慌ただしくなくて、余裕があり優雅だった。

「私もそう思います。在宅勤務は確かに双方に誤解を与えやすいので、時々ビデオ会話をしても良いと思います。」私は回転椅子を少し右に何度か回して、彼女の提案に応じた。

午後、私たち3人は会議室でビデオ会話をした。台湾の先輩は私の様子を見て、とても怒っているように見えた。隔離、祖父の死、日本に帰れない、仕事のストレス、私との競争で追い越される恐れや焦り、そして午前中に起きたことへの怒りを一気に発散してきた。

仕事は相変わらずだが、台湾の先輩との関系は以前には戻れない。その主な原因の一つはテレワークである。相手に会えないため、キーボードの後ろには、二人の間で憶測の空間が広がり、面と向かって言えないこともキーボードに打ててしまう。

1ヶ月余り後、台湾の先輩が辞めることを決めたのは、様々な要因を考慮した結果だろうが、その中で重要な点の一つは、彼女の家族が彼女に台湾にいることを望んでいることだ。

あの日の出来事が彼女の辞任の原因の一つでないことを私は心から願っていた。さもなければ、私は本当に罪の意識を感じるからだ。私は彼女に何の悪意も持っていなく、むしろ彼女にとても感謝している。あの日の出来事で、私は自分の情緒管理の失敗を責めた。もしあの衝突がなければ、この結果を引き起こしたかどうかは、現時点では不明である。事が起こってしまったのは起こったことで、過去のことはもう変えることはできない。

すべての人の人生の旅には何らかのカルマが働いており、神様は彼女のために別の道を用意したのだろか。

すべてはやり直すことはできない。すべてに「もし」はない。「もしコロナウィルスが発生しなかったらどうなったのか?」というようなものも、すべて意味がない。

「もし」はないが、やはり「申し訳ありません」と言いたいと心から思う。