《五年》(二十)先輩が台湾へ帰った

(二十)先輩が台湾へ帰った

2020年5月7日、台湾の先輩の祖父が亡くなったことを知った。

彼女は私の左に座っており、朝、かすかに何かおかしい雰囲気を感じた。私が座ると、彼女は振り向いて、「おじいさんが亡くなったので、明日台湾に帰るつもりです。今、お知らせします。」と言った。

私はそれを聞いて、少しショックを受けたが、あまりそんなに驚きはなかった。彼女は以前、祖父が90歳を過ぎていて、何年も病気で病床に臥せっていると言っていたからだ。このようなニュースを聞いて、私の内心は彼女のことをかわいそうに思ったに違いないが、何と言えばいいのか分からなかったので、「わかりました。道中は安全に気をつけて、できるだけ早く帰ってきてください。」とだけ言った。

しかし、この時点ではCOVID-19のために日本国籍以外の者は日本に入国できないように入国制限が実施され、台湾の先輩が一度日本を出国した後、入国制限が解除されなければ、再び日本に入国する可能性はほとんどないことを意味していた。さらに悪いのは、彼女の一年間ビザは7月初めに期限が切れてしまう。もし期限までに日本に入ってビザを更新することができなければ、彼女は日本を離れる道しか選択できない。

そこで、このような内心の葛藤、外部のコントロールできない要素が多い状况の中で、彼女はやはり台湾に帰っていった、年長の孫娘として、また彼女の祖父の唯一の息子の唯一の娘として、彼女は自分に祖父の最後を見送る義務があると感じたのだろう。

このようなジレンマを除けば、台湾の先輩の心の中にはもう一つの感情があった。もともと彼女は5月のゴールデンウィークに台湾に帰るつもりだったが、COVID-19が猛威を振ったため、5月の連休に台湾に帰省する計画が狂ってしまったということだ。COVID-19の影響がなければ、台湾に帰って、祖父の最後の姿を見ることができた。家族が最期を迎える前にそばにいることは、中華文化圏の人にとって、とても重要なことだと、彼女自身の口からも語っていた。

そこで、彼女は自分を責めながら、COVID-19が勃発した中国大陸に対してより深い偏見も持っていた。より深いと言えるのは、彼女自身が政治に非常に興味を持っている人であり、政治的意見を持っている人であり、特に中国大陸と台湾の海峡両岸の政治に対する問題については、彼女の原則がはっきりしているからである。

台湾の先輩は、自分が日本を出たら帰れないかもしれない、台湾へ帰りたくないのに帰らなければならないという複雑な心理状態の中で台湾に帰っていった。彼女は、仕事自体に影響を与えずに、毎日台湾でテレワークができることを会社に約束した。

テレワークのおかげで、台湾の先輩は確かに仕事ができて、毎日こつこつと業務をこなし、仕事は完璧にこなしつつも、効率的できめ細かだった。

しかし、台湾に入ると、彼女は家の中で隔離された状態になり、隔離のストレス、祖父の死の悲しみ、仕事の重圧が加わり、彼女はますます過敏で情緒不安定になって、遠く離れた場所にいる私に対して心にわだかまりを持った。私の仕事を彼女が手配してくれていたのだが、彼女は意図的に私の仕事をより少なくして、私が自分の能力を発揮できる機会を減らした。もちろん、私はいつも自分の能力をひけらかすことを気にしている人ではない。

最初は私もこのような処遇を受け入れることができていたが、その後、彼女が家に閉じこもって仕事をする日が長くなるにつれて、彼女の私に対する態度は、送られてくる文字と雰囲気の両方から感じられる感覚で徐々に明らかになってきて、私にもだんだんと彼女との対立が日に日に増進していると感じられた。

この時一抹の「嵐の前の静けさ」の予感があった。情勢が重大な変化の局面を迎える前夜の気配があった。