《五年》(二十五)子どもがいないと、人生は円満ではないか?

(二十五)子どもがいないと、人生は円満ではないか?

コロナが始まってからのこの1年余り、私とMikuの間にも喧嘩が多くなった。コロナのために一緒にいる時間が増えて喧嘩が増えたわけではなく、この1、2年の間に子供が欲しいかどうかについて、私たちの間に多くの意見の相違が生じたからだ。

さまざまな文明形態の中で、中華文明は最も家庭を重視しているかもしれない。「家国天下」という言葉があって、「家」は小さいが、「国」と「天下」の基本的な構成要素で、家がなければ国にはならない。中国人の倫理観念は家族に基づいているが、これも中国人の家族観念が重い原因の一つである。

儒教の学説では、宗法社会では、人には「五倫」、すなわち「君臣」、「親子」、「夫婦」、「兄弟」、「友人」の五つの関係があった。この「五倫」には,「親子」,「夫婦」、「兄弟」の3つの家族関係がある。他の二つは、君臣関係は親子関係、友人関係は兄弟関係に当てはまる。つまり、中国の数千年の封建社会における「五倫」の徳の基礎は家族関係であった。

中国人が子供を大切にするのは、極めて深い歴史文化的な要因があると言うべきである。中国古来、「不孝には三つあり、子孫のないことが一番深刻なこと」であり、家系を継ぐことができないことが最も不孝な行為である。子孫の繁栄は一族の血筋の継続であると同時に、先祖を輝かせる基礎でもあった。昔から今まで、帝王の家であろうと、底辺の庶民であろうと、子供はいつも多ければ多いほどいい。特に男の子は、子が親の業を継ぐ梁である。

現代でも大多数の中国人が子供を重視するのは、骨髄に深く入り込む文化的な要因のほかに、中国の現在の発展レベルの下で、特に地域発展の不均衡の状況の下で、古くからの慣習がまだ深刻な地域では、直面せざるを得ない現実的な理由もある。

(一)子供は親が実現できなかった人生の理想を実現する担い手である。親は、時代的な制約があったりして、自分は大学の教育を受けられなかった。自分が歩んできた回り道を子どもに繰り返えさせるのではなく、子どもは最高の教育を受け、将来は出世して、親を養わなければならない。

(二)子供は親と人の比較のベンチマークである。一部の中国人の現在の満足度は大抵の場合、比較して得たものであり、常にどこでも他人と比較してこそ、自分の満足度が満たされる。

(三)子どもは家族の運命を変えるチップかもしれない。田舎から町へ、内陸の辺境地域から沿海の発展都市へ、一家が貧困から脱して豊かになるためには、子供の「鯉の滝登り」を当てにしなければならない。

中華文化の下で育った私が、どんなに西洋思想の洗礼を受けても、根底には子供がいることを渇望しているのは、以上のすべての不条理な理由からではない。

私は中国語、英語、日本語、Mikuは日本語、英語、ロシア語をマスターしている。私たちはそれぞれ世界各地の色々な国に住んだことがある。もし子供ができたら、彼にいろいろな言語を教えたり、いろいろな文化を体験させたり、世界各地に連れて行ったりして、私たちが与えることができるすべての愛を彼に与えることは、どんなにすばらしいことだろう。コロナが流行して以来、我々は真剣にこの問題を検討した。

子供を大切にする中国では、親と子供の間に独特の関係が生まれている。非常に緊密な依存関係である。子供は親に物質的に依存し、親は子供に精神的に依存する。中国の親と子の間は一生骨肉がつながり、血がつながっている関係だ。親子の関係だけでなく、血縁と家族関係を重視するのは中華民族の文化伝統であり、人々は人間関係の中で最も安定している要素は血縁関係であると信じている。誰もが「血は水より濃い」という伝統的な観念を持っている。中国人の家族観念は非常に強い。ここでの「家族」は自分の核家族だけでなく、大家族、例えば兄弟姉妹の間、更にはいとこ同士の間を指す。

逆に日本を見ると、私が観察してきた日本の家族関係はあまり緊密ではなく、時に淡々としたもので、少し冷たく感じた。身内同士の絆は、自分に愛を感じるだけでなく、大きな力を与えてくれるのではないか。

「人の完全な死は、その人がすべての人から忘れ去られた瞬間である」という言葉を聞いたことがある。誰からも忘れ去られた老人を想像するのは、なんだか凄惨極まりないことだ。日本社会の最期まで子どもが付き添わない「孤独死」は命にとって過酷なことだと思えてならない。

多くの中国人の観念の中で、もし一生子供がいなければ、この一生はどんなに成功しても金持ちであっても、人生は円満ではない。一定の過激な思想の人の目にさえ失敗しているように見えて、かわいそうに見えて、同情される。中国の民間でよくこのような話を耳にする。「あの人はとても成功しているが、残念ながら子供がいなくて、何もうらやましいことはない。」又は、「あの人はとても成功しているが、残念ながら子供がいなくて、このような人生の何が良いことがあるものか。」

子どもがいなければ、すべてが否定されてしまう。日本では子どもがいないことも悪いことではなさそうだ。

私は世界の様々な形の家族を見てきたが、それぞれの家族の存在を理解し、尊重し、彼らの存在権を切実に擁護している。

私は異なる観念を受け入れることができるが、私自身の持っているある観念を保持する権利も、もちろんある。