《五年》(二十四)心の切り替え

(二十四)心の切り替え

COVID-19は人類の歴史に濃い色の一筆を残すことを運命付けられている。それは世界で猛威を振るい、威力は第二次世界大戦に迫っており、今日の人類社会が直面している最も深刻な挑戦と言える。この先どうなるかわからないし、ワクチンは出ているが、その効果がどこまであるのか、副作用ももちろん疑問だ。まだ実験段階も終わっていないワクチンを一般人に投与するのは、仕方がないことではあるが、無責任に過ぎない。

人類は2年か3年先も、悶々とした日々を送ることになるだろう。

大阪に引っ越して1年余り、梅田や難波のような繁華街はめったに訪れず、ほとんど在宅勤務で仕事をし、週に1回だけ会社に行くなど、薄氷を踏むような慎重さを持って過ごしている。マスクは口から離してはいけない。会社に行くと、朝アルコールで机を拭くのは当たり前だ。1日に7、8回は手を洗うのが普通だ。地下鉄の車内で咳をしているのを聞くと、すぐに神経が引き締まり、できるだけ遠くに離れたり、頭を振り向けたりする。これはあまり積極的な役割を果たすわけではないが、せいぜい心理的に自分を慰めることができる。

このような慎重な日々を送っていると、多かれ少なかれ苦心することになるが、いくら苛立っても、歯を食いしばって我慢するしかない。パンデミックを前に、人は風の前の塵に等しい。

2020年は、すべての人に1つの厳しい試練を与え、1つの分岐点であり、新しいパターンの出発点でもある。だが最悪の場合でも、中世の人々が黒死病に直面した時ほど悪くはないはずだ。

2021年、依然として厳しい状況だが、人々は次第にコロナに心の疲れが生じ、防護措置は生活に溶け込み、多くの人の習慣になっているが、大多数の人の心の中には、このウイルスもそれほど怖くなく、1年も経っているので、少しリラックスしても大丈夫ではないかという心理がひそかに生まれ始めている。

コロナの勢いは変わらず、多くの施設は非正常に運営されており、時間を短縮したり、その他の制限を加えたりしている。これはすべて人の生活に多くの不便をもたらした。コロナで失業した人や、倒産した事業者には、言うまでもなくつらい日々が続いている。さらにコロナ前から収入の変化があまりない日々を送っている人にも、心理的に大きな影響を与えている。

私が仕事に感謝し、上司や同僚に感謝し、人類史に痕跡を残したパンデミックの中で失業せずにいられることは、本当に感謝すべきことだ。

6月末、東京五輪の開幕を目前にしても、コロナ終息の兆しは見えない。

2020年末、私は何歳も年下の日本人と知り合った。彼の仕事は水泳のコーチの仕事で、オーストラリアやアメリカに行ったことがあり、英語を流暢に話すことができる。一生懸命働いてお金を稼ぎ、暇な時間を副業の仕事で埋めていて、若いうちにもっとお金を稼ぎたいと言っている。そうすれば年を取って何も心配しなくてもいいと言った。

彼の言葉は私を目覚めさせた。私は十数年「怒れる若者」であった。物質上の事に対して、金銭の事に対して、これまであまり重視していなかった。ずっと友からは理想主義者と言われ、現実に目を向けず、ただ自分の理想で世界を改善することができると思っていた。自分の理想のために何かをしたいと思って、甚だしきに至っては何かを犠牲にしても良いと思っていた。人と人との間のいろいろな関係において、真実さと正直さを崇拝していて、他人を理想化しやすかった。

しかし、2021年に入ってからは、コロナ禍の長続きのせいか、その友人のせいか、年を取ったせいか、目に見えないエネルギーのせいか、私の考えは変わり始めた。「怒れる若者」であることをやめて、もっと人とつながり、もっと人に温かみを与え、もっと物質的なモノを手に入れることを心がけるように注意している。

それと同時に、私も次第に焦り始めた。朝早く目が覚めた時、その原因はほとんど焦りだった。時間は日に日に流れて、生活はあまり向上することがなく、以前は自分にはできることがたくさんあると思っていたし、旅に出たり、酒を飲んだり、歌を歌ったり、理想の世界を熱く追求したりする時間がたくさんあると思っていた。

でも今は、自分の残りの人生の時間が本当に少ないような気がして、どうやって社会に役立つ価値を作って、自分の財産を作っていくかしか考えていない。

時間はただの数字だが、心の持ち方は時間によって変わる。