《五年》(五)職場の初印象

(五)職場の初印象

面接の時、太平さんが入社まで半月だと言ったので、私は二つ返事で承諾した。一般的な会社では、面接後1週間で出勤すると思う。数ヶ月後、入社まで半月待たされた原因は、8月15日がお盆の最終日で、香川から東京に帰る人の大部分がこの日に搭乗することを選ぶので、この日の利用客が最も多かったからだと知った。この日までの半月は何事もなく平穏で、私のような新入スタッフは必要なかったので、節約できることは節約するという原則で、半月も待たされたのだろう。

真っ赤に燃えるような8月、テレビはリオ五輪の報道ばかりで、情熱的な南米の風情は目を離す暇がない。ぼんやりとした中で、真っ白な雲、大木、水たまり、木の葉の隙間から透き通ってくる太陽の光を見たような気がした。

アマゾンの熱帯雨林の原始、自然、静謐さは、高松の平凡さを反映しており、コルコバードの丘にある巨大なイエスの石像が両腕を広げてリオを抱きしめ、そのそばをテレビの生中継カメラがかすめていく。見渡す限りの視界は心地よい。

半月の時間はあっという間に過ぎた。その間に空港に行って契約書にサインをした。後日直属の上司である店長の小林さんに会った。第一印象は四十代の人のようだが、実際は四十にもならず、ショウガ色のポニーテールが黒っぽい制服の上に横たわっていた。彼女は小さなサイズの制服を渡してくれた。濃い黒色で、襟には2つの白い線がついていて、ボタンは布の下に隠されていて、うっかりこすって落ちないようになっていた。

いよいよ出勤初日の日がやってきた。

私は黒みがかった装いで空港に現れた。なぜ制服に黒色が規定されているのかというと、おそらく、第一に黒色は汚れが目立たない、第二に黒色は人に落ち着きを与える、第三に黒色はお客様を引き立てる、ということだと思う。

頭がぼーっとしていたが、小林店長は私を国際線搭乗口まで案内してくれた。「毎週月曜日、木曜日、土曜日、日曜日に上海、香港、台北とソウルへのフライトがあります。こちらの表示板でフライト情報を見ることができます。当日の店の忙しさを推測することができます。」と話してくれた。このカフェは空港で数少ないメニューが豊富なレストランで、各便の人がここで食事をするだけでなく、多くの空港従業員にランチを提供している。

カフェというよりはレストラン、カフェとレストランの機能を兼ねた食事処といった場所だ。全体の配置はL字型で、入り口から7、8メートルから右に曲がると8、9メートルほどのスペースがあり、突き当たりの鏡面の壁がレストラン全体を広く明るく見せている。

私はこれまでレストランの仕事をしたことがなかった。カウンターに立って、目の前にずらりと並んだきらきらしたコップを見ていた。台座が四角いもの、全体が丸いもの、瓶の口が球形のもの、細長いもの、漏斗形のもの、足が低いもの、口が広いもの、ガラスのもの、陶磁器のもの、プラスチックのもの……眺めていると目がくらくらしてきた。簡単に見えるカウンター内部も、そう簡単ではない。

私の気がつかないうちに、小林店長は氷の塊の入った鉢を持ってきた。彼女は38歳で、薄化粧で汗のせいでファンデーションが上手くカバーできず、顔にややシミがあるのが見て取れた。細長い浅黒い眉毛の下には疲れた目があるが、顔立ちは整っていた。

彼女は私に「まず同僚たちを紹介します。」と声をかけた。「ありがとうございます。はい、よろしくお願いします。」と、まだあまり上手ではない日本語で答えた。

カウンターの一端からキッチン全体を一望できるオープンなデザインで、スペースも確保できるうえに、店の衛生状態が外から分かるようになっている。

小林さんは「台所で青いストライプを着て黒い帽子をかぶっている女性の名前は由香さん。」と紹介した。私はポケットのノートを取り出し、丁寧に「由香」の文字を書き留めた。朝家にいるとき、同僚たちの名前をどう覚えたらいいか考えて、このノートを用意した。小林さんは、テーブルを拭いている女性を呼んだ。短い髪、深い眼窩、乾燥した首、痩せた体つき、彼女の名前は里美だった。

里美さんと挨拶をし終わったばかりの時、裏口から入ってきた元気な女性は、ポニーテールをしていて、洗練された化粧をしていて、目じりに大きな黒子があって、私は瞬時に彼女を覚えた。彼女の名前は敦子だった。

その日レストランに居た従業員と知り合った後、空港をぶらぶらした。上下2階の空港には塵ひとつなく、レストラン、書店、飲み物屋、コンビニエンスストアが軒を連ねている。現代的なデザインは空港をおしゃれな雰囲気に見せている。美しいラウンジのレセプションホールのお姉さん、謙虚で礼儀正しい清潔なおばさん、おてんば姿のファミリーマートのレジ係など、多彩な画面を構成している。

日本語が下手な私は、あまり自信がなくて、少しは人に軽蔑されることもあるかもしれないと思った。しかし、中国語しかできないと、日本では差別される確率が高いけど、私の英語は多くの日本人より上手で、日本社会は英語の上手な人を高く評価しているので、私の中で彼らが日本語をうまく話せない中国人を軽蔑しているのではないか、という思いを中和してくれた。大部分の人の根底には少し下を虐めて上に媚びるような卑しい品行がある。

幸い、英語はある意味私の尊厳を救った。だがもちろん、実は何の役にも立たない尊厳だ。