《五年》(三)就活中に遭遇した奇怪な出来事

(三)就活中に遭遇した奇怪な出来事

7月のある日曜日、朝の風はミントのように涼しく、四方八方から吹いてきて、一晩中潜んでいた大小の露の玉が逃げ、蒸発し始めた。日差しは水滴に屈折されて七色のきらめく光沢を呈し、華やかな錦のようだ。私はバスで大阪の外国人就労情報センターに登録しに行き、ついでに仕事の情報を集め、関西あたりに適当なポストがあるかどうかを探った。

センターに入ると、満面の笑みを浮かべる日本人女性から相談申込書を記入するように言われた。左の欄は希望言語だった。私はしばらく間を置いて「中国語」の欄にチェックを入れた。中国語を知っているスタッフは私の立場に共感するかもしれないと思った。

まさか、数時間でその期待が消えてしまうとは思わなかった。

私が記入デスクで待っていると、顔の筋肉がたるみ、髪をポニーテールに束ね、前髪の根元が白くなった中年の女性が私に向かってきた。手にA4サイズの用紙を10数枚ほど握っていて、彼女は2分以上もかけて歩いて来た。彼女は中国人で、近づいてくると、立って私に尋ねた。「あなたは中国人ですか?どんなビザを持っていますか?」私はひとつひとつ答えた。

そして、私たち二人の会話が始まった。 

女:「こちらは、あなた自身がネットで検索しているのと変わらないよ。」

私:「こちらには、外国人向けの仕事情報みたいなものはありますか?」 

女:「いいえ、まだ記入しますか。」

私:「来たからには、記入しましょう。」

女:「お名前は?」

私:「※※洲。」

女:「どの洲?」

私:「五大陸の洲。」

名前を書き終えて見ると、さんずいが抜けていた。

私:「洲の字に3点のさんずいが足りない。」

女:「点が三つあるのですか?」

そう言って二つの漢字の狭間に、小さい字で点を三つ足した。

女:「日本語が話せますか?」

私:「ほとんどできないです。でも英語は大丈夫ですから、英語に関係する仕事を探したいです。」

女:「何年英語を勉強したの?」

私:「十数年でしょう、ニュージーランドに一年半いたから、英会話は大丈夫です。」

女:「一年半で大丈夫?」

私:「インドでも一年間働いたから大丈夫だと思います。」

女:「2年半で英語がマスターできるんですか。私たちはここでそれくらい勉強しても会話ができません。」

私は彼女の話を聞き続けなかった。彼女は自分の状況で他人を類推した。この混乱した論理は彼女の低級さを証明するのに十分だった。もし彼女が意図的に私を侮辱するのであれば、なおさら説明する価値がない。彼女が私の代わりに表に記入してくれた後,私は体を近づけて見た。

私:「この行の字はどういう意味ですか?」

女:「ああ、工場で働くという意味ですね。」

私:「すみません、工場で働きたくないのですが、ほかのことを書いてもいいですか?」

女:「それはどうでもいいよ。何を書くにしても、ネットで検索したものを基準にしているからだよ。」

私:「どうでもいいのなら、私の希望職種を書いてください。」

女:「あなたの目標賃金はいくらですか?」

私:「就職地の平均賃金ですね。」

彼女は首をかしげ、筆を動かして、目標賃金である月給15万円を書いた。

女:「あなたの最初の仕事は何ですか?」

私:「内部監査。」

女:「内部監査って何? 」

私:「主に財務システムなど企業の経済活動の監視と審査です。」

女:「自分で書いて…… 」

女:「次の仕事は何ですか?」

私:「自分で書きましょう。」

彼女から表を受け取ってみると、職歴欄の順序が逆に書かれていて、字体がゆがんでいた。目標の月給「15万円」の文字を見て腹を立てたが、無理やり怒りを抑え、表に記入し直して問い合わせ先に聞いたところ、ここは高松の職業紹介所と本質的な違いはなく、私が思っていたような特定の人への情報集約や職業推薦などのサービスはないという結果が得られた。

大阪から帰ってきて、昼間は日本語学校に行って、夜はいろいろな求人サイトをチェックして、京都の英語マーケティング担当者に応募してみた。

数日後、京都の会社から興味津々の返事が届いた。その行間には、京都は中国人観光客が多く、ビジネスニーズが拡大しているため、中国語を話せる従業員の規模を拡充する必要があるとのこと。また、欧米の顧客も増えており、中日英3カ国語ができる人を大歓迎しているとのことだった。

そこでメールでやり取りし、ビデオ面接の時間を決めた。通話の結果、この会社は創立間もない小さな会社で、現在会社の正社員は2名だけで、上司は毎日京都の留学生のアルバイト従業員と一緒に働いていることがわかった。会社の主な業務は海外観光客にモバイルWIFI設備を売り込むことだ。

私は「もし私が採用されたら、どのような形で採用されますか?」と尋ねた。「まずパートタイム社員で、3ヶ月の試用期間を経て、業務能力と仕事ぶりが会社に認められれば、契約社員に転じることができる。」と説明した。正社員になれるかどうかは、明確に否定も肯定もしなかった。

後で知ったことだが、日本での就職活動は、このようなあいまいなものは、断固として断らなければならない。

蒸し暑い7月の夜、畑ではカエルの声が沸き立って、まるでにぎやかなパーティーを開いているかのようで、窓ガラスにヤモリが群れていて、一見不気味だが、日本の文化ではヤモリは縁起がいいことを象徴している。家にヤモリが何匹もいるのは大吉だ。もし夏の夜、窓ガラスにヤモリの姿が見えなくなったら、一部の老人は焦るのではないかと心配する。

7月21日夜、高松国際空港のある店が正社員を募集しているという情報が検索された。募集要項を閲覧した後、ちょっと試してみてはどうだろうかと思った。募集情報には、正社員に応募したい人はハローワークという機関に登録し、紹介状をもらってから応募できると書かれている。

ハローワークはロビーと相談所の2つに分かれている。

入るにはまず相談所で個人情報を登録し、生年月日、国籍、外国人の場合はビザの種類をチェックされる。相談が終わった後、一人一人がナンバープレートを受け取り、そのプレートを持ってロビーに行く。ロビーには数十台のパソコンが置かれていて、自分の希望する職を選ぶことができる。選別の方式は中国国内の求人サイトと同じだ。

希望する職を見つけるとすぐに印刷することができ、各パソコンの横には無料のプリンターが用意されており、印刷後は仕事の説明が記載された紙を持って相談所に戻る。

職務の要件、福利厚生待遇及び個人の意向に基づいて、相談所の人は相応のアドバイスを出す。自分で応募を決めたら、相談所の人に会社に電話をかけてもらい、募集状況を確認後、会社に応募者を簡易に紹介してもらう。会社はとりあえず応募を受ける場合は、すぐに電話で面接時間を決めることができる。

次に、相談所から求職者にハローワーク紹介状が発行され、面接には履歴書、職務履歴書、紹介状を持参する。企業ごとに要望は異なり、まずこれら3つのものを郵送してほしいという企業もある。

基本的にハローワークは良い仕事を探す場所ではないが、例外もある。

目がいいか、運がいいか。

私が訪れたこのハローワークは飯山のふもとにあり、山の形がご飯をたっぷり盛ったような形をしていることから、五穀豊穣を意味する飯山と名付けられた。自動ドアがサーッと開閉し、エアコンがよく効いていて、冷房がドアの前に置かれたいくつかのゴミ箱を冷やしていた。

私はロビーに直行し、昨夜選んだ求人票を印刷して相談所に行き、十数分並んで待っていた。スーツを着た初老の男性スタッフが私に応対してくれた。早口な初老男性の特徴的で曖昧なアクセントは、私には馬の耳に念仏のようで、何が何だかわからず、先日習った語彙や文型がどれも当てはまらないのではないかと考えていた。

一般的には、口語やリスニングのレベルがそれほど高くないとき、母語話者とのコミュニケーションは、第二外国語話者とのコミュニケーションよりも難しい、1つ目の原因は母国語を話すのは図らずともカジュアルになる傾向があり、文の構造の処理が柔軟だからだ。第二の原因は、母国語を話すときに自分の発音をあまり気にしないからであり、地方なまりがあるだけでなく、発音が怠けていて、はっきりしていなく、勝手に言葉を省略している人もいるからである。第三の原因は、一部の年配の男性は口の中で言葉を半分吐いたり、濁したりするので、さらに聞き取りに骨が折れる。

この初老男性の冒頭の言葉は私にも理解できたが,後は五里霧中になった。Mikuはそばにいて英語で私に翻訳してくれた。その初老男性は思い切ってMikuと直接話をし、5分後、Mikuは私の手を取って座席を離れ、ドアの外に向かった。建物の外に出ると,私は「何があったのか」と不思議そうに尋ねた。

Mikuは、「さっきの人は日本語が話せない中国人に会ったことがない、日本語が話せないと仕事もできないのに、どうするのかと言っていました。私が彼は日本語の読み書きはまあまあだし、漢字も分かるし書けるし、将来仕事で分からないことがあったら同僚に紙に書いてもらって、書面でコミュニケーションをとればいいと説明したら、どこの会社にそんなバカなコミュニケーション方法があるのかと言われました。」と語っていた。

Mikuは彼の言葉が私を侮辱したと思ったので、さっき私を引っ張って出てきたのだ。「それなら、まず受付にクレームを言ってみよう。」と私は言った。そこで、また日差しの強い戸外から冷蔵庫のような室内に入って、フロントに直行して、さっきのことを一部始終話した。十分後、二階から中年の女性が降りてきて、私たちを二階に連れて行ってくれた。

二階は技能訓練を専門に提供するサービス所で、彼女は私たちに事のいきさつをもう一度話してくれと言った。私たちは情をこめて話し、将来彼が他の人に不遜なことを言わないように懇願した。それから、中年の女性はすみやかに応募を検討していた空港の店に電話をかけてくれた。電話の向こうは空港の店の人事部の責任者で、彼は私の情報を聞いてから、私に先に履歴書、職務経歴書と紹介状を送るように言った。

ハローワークから帰ってきたらこの3点を早速送った。3日後、面接の誘いを受け、7月28日に空港で面接することになった。

ちなみに、初老の男性の口からは「どこの会社にそんなバカなコミュニケーション方法があるのか」と言われたが、直後に探した仕事では、私が最初から日本語会話が全然できなかったので、フレンドリーな同僚たちが一文字ずつ紙に書いてコミュニケーションしてくれた。

そんな初老の男性の失礼な接待行為を私は原稿にして、2017年12月の高松日中友好スピーチ大会で大勢の人の前で講演した。

山の上の人は山の下の人を軽蔑してはいけない。下の人がいつか山に登って来て上の人の代わりになるからだ。山に登っている人も、山を下っている人を軽蔑してはいけない。山を下っている人が山頂でくつろいで輝いていた時、山に登っている人はその時まだ山のふもとにいたからだ。

人生は山を登ったり、下ったりしていくことだ。